催眠を見抜く

 催眠術には何か特殊な、怪しげな雰囲気がある。確かに深い催眠状態にある人の反応は、まるで魔法にでもかかっているかのように不思議に見える。そのまるで誘導者の言うとおりになるかのような反応や行動は、ちょっとした奇跡のようでもある。催眠は強力な人間操作技法ではないか。

 これらのことから当然、それを見る人々の思いは両極端化し、片方は催眠に対する過剰な期待となる。また片方はその反対の強い抵抗感や否定、偏見ともなる。奇跡が起こるのではとの強い期待があるからこそ催眠を体験したくなるし、その技法を学ぼうとする。けれども初恋がはかなく消え去る運命にあるのと同じに、強すぎる期待で始まる話は成就しがたいものなのだ。

 しかし何事においても強くコミットすること。これは絶対なものなのだ、と思いこみを強くすることが個人を強く支えることになる。そして物事を成し遂げるパワーとなる。催眠はこの思いこみを益々強化する技術である。けれども、これが絶対というような一面的な考えや価値観は必ず対立を生み出し、差別を生み出していく。このことは外にだけでなく一個人の内に生じて、自己の心身との解離や葛藤を生む。パワーアップのために新しく採用した手法が、実はパワーが出ないそもそもの原因となっていた心身との解離や葛藤というパターンの上塗りとなってしまったのである。

 出鼻をくじくような話を始めたが、よく起こりがちな、「強く‘期待’することや強く思いこむ」ことで問題となってくる点を取り上げてみた。もちろん必ずしも全ての人がそうなるとは言えないが。でもやはり何事も長所と欠点があるのだから、そこをしっかり見極めた上で取り組む方が良い。

 私が知る限り、こと催眠に関しては限界を述べるにしても、欠点を述べるにしても、何か曖昧だったり納得がいきかねるものが多い。先にも述べたように催眠は「思いこみを強化する技法」言い換えると「その気になってもらう技法」そのものである。そこでその限界を述べることは、即、催眠全てを否定することになりかねない。そのため余計に、なおざりにされてきたのであろう。

 ところで話は飛ぶが、古代エジプトに端を発し中世ヨーロッパで発達した錬金術。それはただの卑金属から金を作りだそうともくろんで始まった。もちろん実際の金を得ることはかなわない怪しげな研究実験。しかし心理学者ユングはその錬金術を研究して、そこに錬金術師自身の心の変容、個性化過程が含まれていると見抜いたのである。要するに錬金術師達が実験室で実際の金を作り出そうとした工夫過程に自らの心の変容過程を投影していた訳である。

 私はこの話から連想して「錬金術研究ではないが催眠も“心の実験室の場”としてして役立つかも」と思いついた。残念ながら催眠には錬金術のような目的もなければ思想や哲学もない。でもそのぶん只の実験室であるので様々な実験に利用できる便利さがある。催眠状態での不思議現象は人の日常での心身の働きが凝縮されて現れ出る。それゆえ心理実験室として催眠を用いてみるならば、分かったようでよく分からない心身の動きの本質が客観的によく理解できるようになるのだ。

私の催眠修行体験記

 私が催眠について興味を持ったのは高校時代である。合理主義でめんどくさがり屋だった私は、その当時父親によく「お前は意志力がない」「三日坊主だ」と言われていた。確かに飽きっぽくて長続きしない。「これでは大成できないな、ヒーローになれないな」などと自分でも気にしていた。そんな頃に、街の本屋で立ち読みしてしようと店内をうろついていたら「催眠によって潜在能力を引き出す」という、本の帯にある謳い文句が目に飛び込んできた。当時ベストセラーになったカッパブックス出版の『催眠術入門』という本である。もちろん私はその本をすぐさま買ったのである。

 それからは他の催眠関連の本も読んだりしながら独学で、自己催眠や他者催眠を試した。自己催眠(自律訓練法)については、ずっと後にヨガを併用してやるようになるまでは全く効果を実感できずにいた。でも他者催眠には始めから手応えがあった。幾人かの友人に催眠の被験者になってくれと頼み込んだ。そして承諾してもらった友人に、うろ覚えの催眠誘導を試みてみたのである。そしたら「そんな感じがした」「言われたようにイメージが出た」などと予想以上の感想をもらったのである。

 高卒後私は大阪の小さな商事会社に就職し、東京支店に転属になった。東京に暮らしながら、この大都会において何かを成し遂げてヒーローになりたいという思いと、ありのままの自分には全く自信のない、いい格好しいの無力な自分とのギャップを持て余していた。そんな二十代半ばに「東京なら、未だ見えてこない私の潜在能力を引出せるという催眠を学べる所があるに違いない」と閃いた 。すぐに電話帳でその当時有名だった催眠教室を見つけて、そこに催眠を習いに行くようにした。そしてその後には、その催眠教室に就職もしクライアントの催眠療法に携わるようになったのである。

 催眠教室に就職し催眠療法士としてクライアントに接するようになってしばらくしたら、催眠状態に浅くしか入れない人への治療をどうするかという問題にぶつかった。その催眠教室で生徒の側で学んだ頃に凄い催眠誘導技法を持ち、それでいて優しく信頼できそうな講師がいた。その人が居るからと就職を決めたところが大だった。でも残念なことに私が就職したときにはもうすでにその人は退職されていたのである。私はその人以外の先輩諸氏の催眠療法のやり方や教え方にはほとんど納得できなかった。

 おまけに催眠療法士である前に、悩み苦しんでいるクライアントの援助をする心理療法家として、クライアントが良くなっていくための援助的人間関係の訓練が全く足りなかった。催眠療法士として見習い期間の時に学んだのは、催眠にはフランス語で「ラポール」との言葉がある。その言葉のように良い信頼関係が必要である。と済ませる程度のものだった。私は、もっと何か良い方法はないのかと捜し回り、そして心理臨床関連の本で見つけた、カール・ロジャーズのカウンセリングを外部にこっそり学びに行くことにしたのである。

催眠療法の弱点

 催眠療法はクライアントを催眠状態に導いた後に、様々な心理技法を用いて治療をする。その全てにいえるのは、催眠状態に深く入れる人ほど、その治療効果を実感できるということ。もちろん只深く入ればよいというのではないが。

 その催眠状態の深い浅いにはかなりの個人差がある。ごく浅くしか入れない人から、記憶支配と呼ばれるような深いトランス状態に入れる人。時には催眠状態に入っていても、それが無意識的なもののために、意識では催眠に入らなかったと思う人までいる。またこの被暗示性といわれるものは同じ人でも時と場合によって大きく変化する。

 催眠療法を望んで来談したクライアントの中には、催眠療法自体が全く役立たなかったと感じるクライアントも実際にはいる。治療者側の催眠療法の技術が未熟な場合は論外である。安心して自分を委ねられるような信頼関係を作り出すことができない催眠療法家だったりする場合に必ずそうなる。これは催眠療法に限らない。医師との信頼関係が良いか悪いかで投薬された薬の効き具合も大きく変わってくるのである。催眠療法の場合はクライアントは深い催眠状態などには入りようもないし、心理治療的なものを受け入れる気になれないので、不幸な結果はますます増大してしまう。

 この問題を乗り越えるために私は非指示的療法(Non-Directive Counseling)または来談者中心療法ともいわれてきた、カール・ロジャーズのカウンセリングを学んだ。心理療法としては極端なくらいに指示的といえる催眠療法とは正反対のカリスマ的でないやり方を身につけてきたのである。

 しかしこれらの両極端な手法をまとめて活かすのは容易ではなかった。バラバラで用いるしかないかとも思っていた。ところが「フォーカシング」という心理技法を会得することでそれが解決したのである。強く指示的な催眠療法と非指示的といわれるカウンセリングとの両極端の橋渡しをフォーカシングがやってくれるのである。

 ロジャーズの弟子のような立場のユージン・ジェンドリンがロジャーズのカウンセリングを基礎としてあみ出したフォーカシングをプラスすることによって、催眠療法の弱点の穴埋めがシッカリできたのである。ようやっと催眠療法士として私なりに納得できる催眠療法が確立できた。それをフォーカシング式催眠療法などといったりしている。

 また最近ではフォーカシングと催眠イメージ面接法を組み合わせて「インナーセルフ療法」と名づけた心理技法をよく用いたりしている。この技法は自分の内面に向き合うことができる人で、自律的なイメージ活動が出現するなら有効である。あまり自我をなくしすぎない軽催眠状態の方がかえってよかったりもするので、浅くしか催眠状態に入れない人にも充分役立つ。

 ところで私が理想とする心理療法は実は「なにもしないことに全力を賭ける」という河合隼雄氏の手法である。これは非指示的といわれるロジャーズのカウンセリングよりもっとカウンセリング的な方法といえる。河合隼雄氏はある対談本で「カウンセリングは、ちゃんと話を聴いて、望みを失わない限り、絶対大丈夫です」とか「望みを失わずにピッタリ(クライアントの)傍におれたら、もう完璧なんです」と言っている。それ以外のもの(心理技法など)は実は余計なことなのである。

 でもこれは心の器の大きな名人のなせる技である。器も小さければ名人でもない私は仕方なく、今の時点で一番コミットできる「フォーカシング式催眠療法」や「インナーセルフ療法」を心理療法に用いているのである。

催眠療法には援助的人間関係のノウハウがない

 催眠療法は心理療法の先陣を切った心理技法である。心理療法の黎明期にヨゼフ・ブロイアーと、のちの精神分析の創始者であるジグムント・フロイトが共著で『ヒステリー研究』(1895年)という本を出版する。その中に登場するヨゼフ・ブロイアーの患者であった 「アンナ・Oの症例」は現代においても催眠界だけでなく心理臨床界全体にあまねく知れ渡っている。

 アンナ・Oの多彩な症状の中には、どうしてもコップから水を飲めないという症状があった。ある時アンナは催眠状態で偶然、実は彼女が嫌っていた女性家庭教師が、犬にコップでそのまま水を飲ませていたという記憶を思い出した。それらを激しい嫌悪感や怒りを込めて話し終わると彼女は水が飲みたくなったと要求した。そしておいしそうにコップから水を飲み、コップを口につけたままで催眠から覚めたのである。

 アンナのようにトラウマ(心的外傷)を感情を伴って言葉化することに治癒効果をみいだしたブロイアーらは、これを催眠浄化法(hypno-catharsis)と名付けた。このアンナ・Oのカタルシス療法が現代にいたる心理療法の始まりと位置づけることができる。

 カタルシス療法を重ねることでアンナは次第に回復していった。ところが医師ブロイアーはアンナの治療を中断してしまう。ブロイアーの献身的な、寝食も抜きにして尽くす治療態度はアンナの信頼を強く勝ち得ただけにとどまらなかったのである。アンナはそれまで以上に強く治療者を求めた。ブロイアーはその激しいまでの感情や、そこから引き起こされる二次的な症状に対処しきれなくなったのだ。のちにフロイトによって「転移」と概念づけられた、治療者と患者などの援助的人間関係に立ち起こってくる負の問題に対するノウハウがブロイアーには欠けていた。

 遂には彼は、アンナを精神科医ピンズワンガーのサナトリュームに入院させ治療関係を断ってしまったのである。(ちなみに後年アンナ・Oはその神経症状を克服して社会的に大活躍を遂げ1954年には西ドイツで彼女の活躍を賞賛する記念切手まで発行されたりしている)

 クライアントとのその特殊な二者関係において、文化的な差異も含めて、どのような対人関係の動きや変化が起こるのかについて精通する必要がある。このことはブロイアーに限らず、また催眠療法家にも限らず心理臨床に携わる者全てにいえることである。

 クライアントは、その悩みが重くて苦しければ苦しいほど当然、もっと保護され支えられたいと、依存したい思いが強くなってくる。ところで催眠療法で、催眠に導かれるクライアントは催眠誘導をする治療者に自我を全面的に委ねるような形で面接が進んでいく。それがことさらクライアントの願望である「理想的な親か全てを救ってくれる菩薩のように、治療者に自分を強く支えてもらいたい」との思いを助長しやすくなる。

 このような点に対処できるようになっておくには、ただ催眠療法を学んだだけでは不十分なのが今までの説明でわかるであろう。催眠療法をしっかりとした心理療法として成り立たせるためには、人間関係に深く精通することが必須条件なのである。

催眠療法には(時代精神や共同体に沿う)理念がない

 催眠療法は心理療法の中で先がけ的な存在である。そんな催眠療法がなぜ、現代において主流でないのか。最近の日本の心理臨床界において催眠療法は立ち遅れた感さえある。そうなった原因のひとつは、先のアンナ・Oの治療事例において見えた援助的人間関係のノウハウが催眠療法にはないという問題である。

 ブロイアーの失敗を目のあたりにしたフロイトはこの援助的人間関係の問題点を「転移」と概念化してその対策を工夫した。フロイトも初期には催眠療法を用いていた。フロイトの催眠技法が未熟だったという話もあるが、残念なことにフロイトは催眠療法に限界を感じてやめてしまう。そして催眠療法より患者の抵抗や転移を心理分析しやすい自由連想法という技法を編み出し、精神分析を提唱するに至る。その時フロイトに見捨てられた催眠療法は未だかつてその弱点を克服できないままにある。

 もうひとつ、催眠療法に足りないものがある。それは催眠療法には現代人の多くにマッチする治療理念がないということである。古代や未開部族において治療者(シャーマン)はその属する部族などの共同体精神につつまれて治療者(シャーマン)として活躍できる。

 実例で例えてみよう。現在の日本では諸外国に比べてユング分析心理学が非常に浸透している。それはなぜか。元々ユング心理学自体が東洋思想に非常に近い考えを持っている。けれどもそれだから自然にユング心理学が日本に定着したのではない。日本において第一番目のユング派分析家となった河合隼雄氏が工夫と忍耐を重ねて、難解ともいわれるユング分析心理学を見事に日本に定着させたのである。

 その河合隼雄氏の情の深い人柄やユーモア満点の持ち味から紡ぎ出されたユング心理学の理念は、心ある日本人なら共感せずにはいられない精神性を持つものであった。

 遡ってみると、フロイトだけでなくユングも、催眠療法を用いていたのにそれをやめてしまっている。その後に自らの持ち味を活かした治療論とそれを支える理念を持つ心理療法をあみ出していった。そして人の心がより大きく近代意識へと変換する流れにおいて、現在ある共同体の精神やアイデンティティに合致するものか、それらを幾ばくかリードする理念や思想を持ったものが生き残っているのである。

 現代の日本にある心理臨床学派の理念を大雑把にだが概観してみよう。例えば精神分析学のフロイトは『エスあるところにエゴあらしめよ』という。精神分析では現実原則に合わせて(道徳心ばかりに縛られないで)柔軟に自分の欲望をいかに抑えるかが重要視される。これは理性的自我中心の思想である。

 米国のカール・ロジャースは最初は精神分析の考え方でクライアントに接していた。けれども精神分析にあるクライアントに解釈を与えるなどの上下関係的なあり方を否定して、より民主的な「カウンセリング」を創立したのである。楽観的過ぎるという批判もあるが、ロジャーズは自我を越えた生命体の働きを「有機体には実現傾向がある」として「有機体自らがそのままで自らより良い方向に育っていこうとする傾向を持つ」との仮説を理念とした。これは自我ばかりを中心とはしていない考え方である。

 一時期フロイトと師弟関係にあったユングはフロイトと別れた後、次第に東洋思想に通ずるような「セルフ」という概念を打ち立てることになる。それは基本的にはロジャーズの「有機体の実現傾向」と基本同じである。けれどもユングはロジャーズの説よりもはるかに心の内面をイメージとして具体的にとらえ概念化している。そして自我意識を超えたセルフからのメッセージを受けとめようとする。例えば睡眠中に見る夢の分析によって、新たな生き方を模索したりするのである。

 先に述べた日本で最初のユング派分析家であった河合隼雄氏は「クリエイティブ・イルネス」創造の病という考え方を発展させている。そこでは心の病だけに限定しないで身体の病や事故に遭遇した時にも、それらが人を成長させるきっかけとなることを、魂の実現傾向として強調している。

 このように心の治療を目指すものは、そのどれもが理論とともに時代精神にマッチする理念や理想の人間像を背景に持って心理面接に臨むのである。例えば「パブロフの犬の実験」で有名な条件反射を基礎として、客観的に測定可能な行動の変化を望む行動療法においてさへも「行動主義」という思想を背景に持っている。

 催眠療法も現代の心理療法として成り立たせ、役立たせるには近代人や現代にある共同体の意識にふさわしい「人間関係論」及び「治療理念」とをプラスせねばならないのである。

 ところで先に、シャーマンは部族の共同体としての意識の中にあってこそシャーマンとして活躍できると述べた。現代では共同体が古代の部族ほどにはまとまっていなくて、多様化している。また情報網が充実しているのでその分さまざまな理念が活躍できる余地がある。そんな今の時代において、かろうじてといおうか、スピリチュアルと結びついたヒプノセラピーはそれなりの地位を占めて定着している。

 けれども私は超越的な感性は皆無なせいもあって、スピリチュアルの持つ理念はシックりこない。私は超越的な感性もなくカリスマ的でもない、そんなわが身の持ち味に合うような理念をプラスせねばならなかったのである。

 今でも催眠というと多くの人がすぐにカリスマ的な催眠療法家像を思い浮かべ、そして催眠自体を怪しげに思ったもりする。この印象は催眠療法の始祖といわれるメスメルから始まったものである。メスメルの動物磁気説は一応科学的であるというふれ込みで登場した。しかしパリで行われた磁気桶による集団治療は、派手な装置と衣装などでメスメルのカリスマ性や魔術性を強調したものであった。

 メスメル以後も権威的なあり方に感化されやすい人々が多かったためか、催眠というとカリスマ性や魔術性をまとった歴史が続いてきた。指示的、権威的な上から下への治療関係に終始するような関係のあり方と催眠とが一体化して催眠とはそんなものとなってしまったのである。そして旧態依然としたままの催眠療法は民主的な近代の時代精神にそぐわなくなってしまった。

 ところで今現在に至るまで催眠の本質的部分はキチンと解明されるには至っていない。それは先に述べたように権威的なあり方と一体化していることが催眠自体を見えにくくしたからである。それに加えて催眠で起こる忘我状態が、観察する働きであるところの自我意識を跳び越しているために、被催眠者の充分な内省報告が得られないからでもある。

 でも催眠の本質を平たく言えばそれは「人をその気にさせるテクニック」である。例えれば料理の際に野菜を切ることもできれば、人を殺めることもできる刃物と同様の道具なのである。そこで道具である催眠を心理療法として心の治療に用いる際には必ず、心の支えとなる哲学や理念つけ加える必要が出てくるのである。

 もちろん今までにも催眠療法を現代人の多くにマッチさせようとの工夫はあった。「催眠状態は最後は自分がそうしなければできないものなので結局自己暗示である」とか「催眠状態でも嫌なことは拒否できます」などとの説明もその一端である。でもそのもくろみは成功しているとは言いがたい。残念なことにこれらは催眠のある一側面だけを強調した不正確な説明にすぎない。

 また「科学的な催眠」といって現代的な催眠をアピールしている場合がある。これは言葉の上では科学的と言っている。でも催眠を行う実際では、昔ながらの催眠誘導技法を用いていたりする。また科学性、客観性にこだわりすぎたために未熟な催眠誘導に終始している。

 私だけかもしれないが科学性を強調する催眠はどうもシックリこない。科学性を持ち出すくらいならその正反対に、科学性を重要視する時代性を逆手にとった立ち位置で、魔術的な雰囲気を残している方がまだおもしろいかもしれない。催眠状態における身体の反応などを科学的装置で計ることにはやぶさかではない。けれども催眠の本質は近代科学より、むしろ現象学的な考えを持つ心理学的接近によって解明していくのが適切である。

 私は日本におけるユング臨床心理学の河合隼雄氏の理念が好きでそれを深く身につけたいと思う。また私は試行錯誤する中で「フォーカシング」と催眠療法を結びつけることを思いついた。フォーカシングにはその元となったロジャーズのカウンセリングの理念がある。それに加えてフォーカシングの創始者であり哲学者でもあるユージン・ジェンドリンの思想がある。またそこには充分とはいえないが援助的人間関係の方のノウハウもある。

 最近は禅の考え方と催眠を結びつけて見ていくことが増えている。ここ数年「究極の催眠療法」と称して禅の修行に打ち込んでもいる。禅の修行は、悟りという大きな気づきに至るまでを目標として、自我的なものを淘汰しながら忘我に徹する過程である。催眠も、被催眠者が催眠状態に入るには我を忘れ(委ね)ていかねばならない。まさに「忘我に至る過程」なのである。両者の大きな違いは、我を誰に委ねるかだけである。そこで催眠誘導者にうって変わって元々宇宙に備わっている働きに我を委ねてみることこそ究極の催眠療法ではないか、というわけである。

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