新しい催眠療法に向けて

 最近のアメリカ映画では、精神的なものが絡む話題になってくると「カウンセラーの所へ行ったか、とか精神科医の所に行ってこい」などというやりとりがすぐに出てくる。まるで床屋にでも行くのと同じに、いやもっと頻繁にカウンセリングや精神療法を受けることが日常的となっているらしい。

 そこまでではないが日本でも、私が携わり始めた30年前とは比べ物にならないくらいに心理療法が浸透してきた。カウンセリングなどの心理療法所からヒーリングやスピリチュアルなど他の民間療法も含めて、心と身体に関する治療法や健康法の増加はとどまるところを知らない。10年くらい前だったか、グーグルで「カウンセリング」のキーワードで検索したら100万件台だったが、その情報総数が最近ではなんと30倍の3000万件台に跳ね上がっていて驚く。

 カウンセリングスクールや心理療法関連の団体や資格が次々に設立されている。危惧されるのは、広く浸透することは良いことではあるけれど、そのぶん中身が薄まり、お手軽なものになっていくことである。サイコセラピストなどと自分を名付けている人も見受けられる。そんな格好つけたノリでは、悩み苦しんで深刻な状態にあるクライアントに接すると、ひとたまりもなく粉砕される。そして残念なことに、私の専門領域である催眠療法界はこの傾向がより強い。その原因は根が深い。催眠自体の本質を見抜かないままに、上辺のハウツー部分のみを長年継承して来たことにあるのだが。

 現在、催眠療法の世界では催眠療法自体をメインにしたものに加えて前世療法やNLP、インナーチャイルド療法やスピリチュアルなどに催眠療法(ヒプノセラピー)をプラスして看板に上げた心理療法所が数多く見受けられる。それらはそれぞれ、心に関する考え方を持ち、このような考え方で治療していけば心の問題が解決するとアピールしている。

 例えばインナーチャイルド療法なら「今現在も傷ついたままで心の内に残存するインナーチャイルドを癒し育てていくことで良くなっていく」という。また前世療法なら催眠状態を利用して「過去生までさかのぼって原因を探っていくことで治癒に至る」という考え方でクライアントの治療に当たろうとしている。

 けれどもそこで併用される催眠療法自体の方は、実は旧態然としたものなのだ。統一された理論のないままに来た催眠は、現代にあっても怪しげな雰囲気に包まれている。その中には、催眠療法の始祖といわれる「メスメル」の動物磁気説と似たような魔術的な治療技法としてアピールされたものから、霊感商法とみがまうような高額な料金を取る酷い所まである。

 また大学など、アカデミックな場での催眠療法は、近年さまざまな心理療法が台頭、発展するのに押しやられた感じである。一応、催眠学会はあり、まじめに研究もされてはいるようなものの、そこから催眠に関する新たなものは生まれてきていない。信頼にたる発行物も登場しなくなって久しい。

 催眠療法はさまざまな心理療法の先陣を切った心理技法である。フロイトもユングも催眠療法に携わっていた次期があった。二人が自らの心理臨床技法を打ち立てるに至った元に催眠療法の知見が役だっていることは確実であろう。ところが悲しいことに、この心理療法全盛の時代にあって催眠療法は、信頼おける心理療法としての地位は確立しえていない。ヒプノセラピーなどと横文字で、おしゃれな感じで催眠療法をアピールする所も多くなって来た。けれども世間一般にある催眠療法に関する印象で一番多いのは「怪しげだけどもしかしたら効くこともあるかもしれない」なのである。

 このように充分認められているとはいいがたい理由は、先に述べたように、催眠自体の本質を見抜かないままに、上辺のハウツー部分のみを長年継承して来たことにある。

 催眠療法界には車椅子に乗った素晴らしい心理療法家、ミルトン・エリクソン( 1901年-1980年)がいる。けれども彼のその治療技法は天才的な彼でしか用いることができないようなものである。その名人芸の催眠療法は段階を踏んで学んでいけるような体系づけができるものではないのだ。エリクソン自身もクライエントごとに異なるアプローチをすべきという考えから、技法の体系化は好まなかったといわれている。

 思うに、エリクソンに学ぶべきは、その名人芸ではなく、そのような技を繰り出すことのできる、その元にある普遍的な部分であろう。表面的なハウツーに終止するのでなく、河合隼雄先生が著書「臨床とことば」の中で『臨床の知と普遍性の問題』として述べているように、普遍性を見抜いて、そこを基に他に適用していくのでなければほんとうに役立つものには成り得ない。

 普遍的な本質とは、例えば刃物でいえば「ものが切れる」ということである。刃物はものが切れるというひとつの機能を基本に持つ道具で、その用途はさまざまにある。そして時には人を殺める凶器にもなりえる。催眠も刃物と同様にひとつの道具である。ただ催眠の場合はその道具の基本機能が明確になっていない。そのため、刃物を使う場合に、もしその「切れる」という働きをよくわかってなくて使えば、怪我をしかねないのと同じことが、催眠を用いて行う心理療法(催眠療法)で起こってしまっている。(なぜ催眠が道具なのかという理由は「催眠の新しい理論」の章を作って詳しく述べる予定)

 例えば、料理を作りあげていくには、その時用いる道具の機能や材料の特質をよく知っていて、それらを上手に用いて料理を完成させねばならない。もちろんそこで包丁は大いに活躍するが、食物を切っただけでは料理は完成しない。その他に煮たり焼いたりいろいろやることがあるので包丁以外の道具も必要である。

 心理的なものから来る症状や問題を解決しようとする心理療法は料理とよく似ている。催眠療法ももちろん心理療法であるが、料理をする際の道具の一つである包丁と同じく、催眠という道具のみではちゃんとした料理(心理療法)は完成しえない。

 催眠療法と命名されているのでわかりにくいが、心理療法(催眠療法)を完成させるためには料理をする場合と同じように、他の心理技法も必要なのである。ところが切っただけで美味しく食せる刺身と同じに時に、催眠にかかっただけで症状が良くなる人が居る。そこで勘違いして催眠(包丁)だけで心理療法(料理)が全てまかなえると思い込んでしまっている稚拙な催眠療法家も出てくるのである。

 料理をする際の道具の扱い方もよく知らない、おまけに料理を完成させるためのノウハウも詳しくない、というのでは惨憺たる料理しかできあがらない。いろいろな心理臨床技法の中にあって特に催眠療法で、この例えと同等の治療が数多く行われている。(・・・実は、ここに批判してあるところは大なり小なり私自身がたどってきた道でもある。過去の私の拙い心理面接を思い起こすとクライアントにずいぶん迷惑かけたし、恥じ入るばかりで偉そうなこと言えなくなるのだが・・・)

 催眠療法に期待を寄せるクライアントに、ほんとうに役立てることができるようになるためには催眠療法に携わる者がもっともっと心理療法家としても力量をつけていかねばならない。催眠の普遍的な本質を見抜いてそれを基に、心理療法として確実に役立つよう、新たに体系づける必要がある。

 このサイトでは新たに、催眠にはどのような本質的な機能があるかを明確にして「催眠の理論」として定義していく。またそれを元にした催眠を、心の問題の解決のために心理療法として用いる際に(料理を仕上げていくのと 同様に)催眠以外にどのような心理技法を加味すれば、より良い心理療法を成し遂げることができるかも述べていく。さらにもうひとつ、新しい催眠療法の実践の中で見出した治療技法も紹介していく予定である。

 これらの私が提案する新しい催眠理論とそれを根本にした催眠療法は、わかりやすく具体的で段階を踏んで努力して学んでいけば誰もが会得できるものである。

★参ページ:『催眠再考察』 『催眠の正しい理論』


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