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電子書籍/紙の本『催眠の本質と新しい催眠療法』

 既存の催眠や催眠療法に関する考えを再度洗いなおして、これこそが的確な催眠の理論であると定義づけました。また催眠を心理療法として用いる際の長所と欠点を厳しく検討しました。それらを元に、今の時代性や人間関係にマッチした心理療法として役立つように工夫した心理技法も提案しています。

 内容的には、主にこのサイトのあちこちに書いてきたことをブラッシュアップしたものです。「催眠の理論」と「インナーセルフ療法」については、一応私が発案したオリジナルものです。

 主な目次内容は以下の通りです。

■第一章 催眠について
催眠は只のテクニックである
催眠が不思議に見える理由
催眠は日常の凝縮版
感情移入と自我放棄(被催眠者側)
イメージ活動の活発化
催眠の正しい理論
心と身体と催眠(意識の勘違い)

■第二章 自然治癒力 催眠を離れて
自然治癒力の促進
心身相関の事例
やすらげない私たち
なぜリラクゼーションが大切なのか
自然治癒力
身体面から見たリ緊張とラクゼーション
心理面から見た緊張とリラクゼーション
うつの心理分析(頑張り屋ほどギャップに苦しむ)
心の自浄作用(心的エネルギー)の流れ
日常の中での解放作用
催眠療法・心理療法
理想的な心身の状態(葛藤能力)
自分に合ったリラクゼーションを見つけよう

■第三章 自律訓練法応用 セルフリラクゼーション法
セルフコントロールに取り組む際の注意点
完全弛緩のリラックス法の基本パターン
自律訓練法+ヨーガの完全弛緩のポーズ
イメージについて
イメージとレニングにおけるイメージ
イメージの現れ方(個人差と状況差)
潜在能力的イメージと自律性イメージ
イメージ操作と能力開発
イメージリラクゼーション法の実際
イメージリラクゼーションの基本パターン

■第四章 催眠療法について
私の催眠修行体験記
催眠療法の理想と現実
新しい催眠療法に向けて
指示的な催眠療法と非指示的なカウンセリング
催眠療法には(時代精神や共同体にそう)理念がない
催眠療法には援助的人間関係のノウハウがない
催眠療法の長所

■第五章 意識の勘違いを正すための和風心身相関図
はじめに
和風な心身体相関の地図
成瀬悟策先生の「主体」論
図の上部に身体と環境とに渡って書いてある//同期現象//
図の身体の周辺に書かれてある仏教用語の六根とは
(今)は瞬時に生滅する
生まれた時点でスイッチオンしてる身体の機能
意識の勘違いを「正して」成り立つ禅の悟り
意識の勘違いを「利用して」成り立つ催眠誘導
和風心身相関図の足りないところ
禅仏教の良い所
西欧と東洋のあり方とユング心理学

■第六章 新しい催眠療法
フォーカシング式催眠療法
フォーカシング式イメージ面接技法
インナーセルフ療法

★電子書籍『催眠の本質と新しい催眠療法:kindle版:1315円
★紙の本『催眠の本質と新しい催眠療法:製本直送.com:1700円+送料300円


催眠療法の長所について

 現代人の問題は思考過剰からくる。何ごとも理性や自我意識で、うまくコントロールしようとし過ぎて身体のペースと噛み合わなくなってしまっているのである。行動する時に至ってさえも、いろいろ考え計らいすぎて心がまとまっていない。そんな状態では、ひと方向にしか動けない身体は身動き取れなくて固まるしかない。このような心身のバラバラ状態を統一するのに催眠体験が非常に有効なのである。ここにあげる催眠療法の四つの長所のうち三つまでがこの意識優先の動きを制して心身一如となれることからくる長所である。

 催眠の長所、それはまず『催眠に入るだけで深いリラクゼーションが得られる』点である。深い催眠状態になるには、できるだけ我を忘れることが必須となる。そのようにとにかく余計なことを考えないでいればそれにつれて心身は自然に深いリラクゼーションに入れるようになるのである。お酒を飲んでうまく酔っ払い、自意識を麻痺させて自己解放できるのと同じである。そこではさまざまな自己調整作用が、お酒を飲んで酔っ払った時よりもずっとうまく働くようになる。

 もうひとつは催眠を適切に体験すると『心身一如のコツを会得することができる』点である。私が催眠によってイメージトレーニングを手伝ったある楽器演奏者は、催眠状態において演奏のイメージトレーニングをしたさいに音楽に溶け込んで音楽を楽しんで演奏できた感じがした。彼女はそれまで長い間、演奏しようとするとある不安が高じてくるので、充分な演奏ができなくなるという悩みで苦しんでいた。彼女自身のいろいろな工夫の積み重ねもあってのことだが、このイメージトレーニング体験を最後のきっかけとして、その悩みを乗り越えることができたのである。

 また、ピアノの発表会であがってしまう恐怖で来談したピアノの先生がいた。カウンセ リングで話を聞いていると、彼女はとてもピアノが好きで子供時代から親しんだピアノは、彼女の大きな支えであったことがわかった。そこで、ピアノと触れ合っている場面を催眠状態の中でイメージしてもらい、そしてその中で子供の頃から親しんできたピアノに触れる喜びや楽しさなどをあらためて感じてもらうようにリードした。そしてピアノと一体になるようなイメージトレーニングを行った。

 彼女はその後、自宅に帰ってピアノを弾いたら「心からピアノが好きだ」という思いが込み上げて、涙が止まらなったと言っていた。この体験によって彼女は、自分の演奏を人がどう思うかなどにとらわれないでいられる、最も大切なもの。ピアノという味方と一体になって音楽に没頭できる喜びを会得できたのである。

 この二人は、ただイメージトレーニングをしただけでない。それよりも我を忘れて音楽や楽器への感情移入を強くできたことが良かったのである。我を忘れて物事に没入すれば、周りを気にしたりうまくやらねばなどと思う、こだわりや計らいなどの思念が働く余地がなくなるのだ。それによってのびのびと楽器の演奏と音楽を楽しむことができるのである。このような心身一如となるコツは自分一人ではなかなか得難い。信頼できる催眠誘導者などにリードしてもらい体験学習すればそれが会得可能である。

 三つめはこれは心理療法としての催眠療法の良さである。催眠に深く入れば入るほどに、意識的な思考活動などが収まり、イメージがリアルになるし自律的なイメージも出やすくなる。この『リアルイメージや自律的なイメージ』は心理療法にとってとても役立つものとなる。そこには視覚イメージだけでなくさまざまな感情や感覚が付随している。それが特に心の治療に役立つのである。それは無意識からの強いメッセージとして受け止められるものとなる。催眠で体験するイメージはそれが強くなればなるほど夢に近くなる。

 夢分析の心理療法もあるが、それがなぜ有効かと言えば夢が自らの内からの強力なメッセージとしての説得力を持つからである。例えば他人から説得された場合は、いくら自分にとって良いことでも納得できないことは多い。ところが自分の内面から意識に向けてくる夢は、あきらかに自分の中からのメッセージである。そのなかでもリアルすぎるくらいに感情を豊富に伴った夢はこちらも真摯に受け止めざるを得なくなる。

 それと同じように催眠状態の中で動き出すリアルな自律的イメージも当人に対するインパクトは強い。また、そんな自律的イメージに向き合いそれと適切な距離を持てるように工夫していくことも心理療法として、とても役立つものである。

 後ひとつ催眠療法の良いところは、日常と非日常をきちんと区別できる点である。カウンセリングの心理面接では、深い話が出た場合などに、カウンセリングが終わってからクライアントの中でおさまりがつかなくなる場合がある。そこでカウンセリングを終えた別れ際に、カウンセラーは日常的な話題を持ち出して少し話し合ってから帰ってもらうようにする場合もある。それによって、それとなく心の切り替えをしてもらうような配慮をしなければならないのだ。

 でも催眠を用いた心理療法には元々覚醒暗示がある。それにより催眠療法は、催眠状態にある時と覚醒して催眠から覚た時との区別がはっきりする。この点が心理療法の守りとして役立つのである。

 心理療法にはしっかりした枠組みが必要である。その守られた枠組みがあるからこそ、それまで受け止めかねていたものを安心して出すことができる。また出したり閉じたり両方がきちんとできないと、アクティングアウトなどと言われるような心理面接場面以外での行動化がひどくなる危険性がある。催眠療法では催眠を終わるさいにしっかりとした覚醒暗示を用いることによって、心理面接全体を終える手前にもう一段区切りをつけて守りを強くすることができるのである。

★参考ページ:『催眠セミナー』『催眠を見抜く』『リラクゼーションと自然治癒力


究極の催眠療法

 禅仏教の思想は現代心理学など及びもつかないくらいに優れているといえるだろう。私はその禅仏教の知見を参考に西欧で発生した通常の心理学とはまた違ったユニークな視点から催眠を見ることができた。また私は怠け者で修行を怠り未だ悟りには程遠いが禅修行をやってきた。そして禅修行と催眠療法は実は非常に共通した道程をたどる事がわかった。

 禅では、大きな忘我状態に至った後で認識が戻り、その時に「自分というものがあると思い込んでいたが、本当は今瞬間の事実しかない」とわかるという。仏陀は菩提樹の元で瞑想に入った後、まず明けの明星を見て悟った。その時「奇なるかな奇なるかな山川草木悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」と喜んだといわれている。悟ってみれば山川草木など森羅万象が宇宙の生命の現れであり、すでに全てが救われていることがわかったのである。そんな悟り体験の話しから、私は禅仏教のあり方は究極の催眠療法といえるのではないかと思ったのである。

 私たち現代人は、自我意識の思考が物事をより良い方向にしていく一番の良い手法であると思い込んでしまった。思考の申し子である科学の発達によって昔より便利に安全になったことからその価値観は世界を席巻している。現代科学の発達によってもう取り返しがつかないくらいに地球を壊してしまっているかもしれないのに。物質界のみにとどまらず、身体の世界においても科学的思考が解決するとして医療が発達してきた。そして最後には心理学によって心を解明しようとしてきたのである。

 けれどもそんな人間自我の打ち立てた心理学などの計らいや工夫を中心にすえて催眠療法するのでなく、この世に展開している宇宙生命体や自然治癒力の働きに委ねることを中心にするのが究極の催眠療法ではないか。

 通常の催眠療法では催眠誘導者のリードによって被催眠者は忘我状態に入る。我を催眠治療者に委ねていくのである。治療者側は被催眠者を巧みにリードして催眠トランス状態(忘我状態)に導く。その治療効果のある無しは、治療者の力量いかんにある。下手な治療者にリードされれば催眠状態に入ることさえできない。力量ある催眠治療者の最たる人物として米国にミルトン・エリクソンがいた。けれども車椅子の魔術師とも呼ばれたミルトン・エリクソンとて宇宙生命体の働きにはかなわないのだ。

 仏陀を始めとして悟りを開いた祖師方は「ほんとうは自分というものは無い。自我意識が気づこうと気づかまいと、事実は先に始まり先に終わっている。とっくに救われているのだ」という。事実とは人間が考え想像する思考や空想の世界と別の天然の動きのことである。言い換えると究極の催眠療法はすでに実際に働いているのだ。当人がそれと気づかないだけなのである。

 脳科学者ベンジャミン・リベットは私たちの意識は自らの体験を0.5遅れてキャッチするのだが、そのタイムラグはないものとして受け止めているという。要するに事実は0.5秒先に起こったことなのに意識はそれを今起こったことと勘違いしてしまうのだ。確かに意識していない範囲で、外界の音を聞くともなく聞いていたことに後から気づく。ベンジャミン・リベットは医師の協力を得た実験から、動作することも耳や目と同じに身体が先にやっているという結果が出たというのである。この実験結果からしても、究極の催眠療法は常に0.5秒先にそれも全ての人にすでに行われていることになる。

 催眠では我を忘れるにしたがって催眠状態に深く入るようになる。そして記憶支配と呼ばれている催眠で一番深い状態がある。その際には被催眠者はそこから覚醒した後に、その時の記憶がまったく覚えていないくらいの忘我状態になる。これが禅の悟り直前の忘我状態とそっくりなのである。(我が元々はないからこそ催眠状態で記憶支配といわれるような、また悟り体験で起こる全く何も覚えていないような深い忘我状態が起こるのであろう)そこで同じ我を無くする位なら、限界ある人間の治療者に対して我を委ねるのではなくて、宇宙生命体に対してそうなれば一番良いのではないかと思うのである。

 しかし悟り体験のない私はまだいくらか半信半疑である。でもとにかく自我が思い込んでいるだけならそれをに気づいて本当にそうなのかどうかを知りたい。催眠療法に携わってきた私としては、ここを避けて通るわけにはいかないのだ。そこで究極の催眠療法を体験したいがために坐禅修行によって我の計らいや余計な思考を捨てさっていく修行をしているのだが。

★参考文献:HP『マインド・タイム』 HP『意根を断つ 今一度坐禅について 前編』


フォーカシング式催眠療法

 ここで述べる中で、既存の催眠療法への反省の部分は「新しい催眠療法に向けて」のところで述べた、催眠療法への反省の辺りと少し重複がある。とても大事なところであるので、ここでは違った視点からより突っ込んで述べてみる。

 「フォーカシング式催眠療法」とは私が勝手にフォーカシングと催眠療法をくっつけて名付けたものである。なにもわざわざフォーカシングと催眠療法をくっつけなくても良いのではと思われるかもしれない。確かにフォーカシングの方はそれ自体で完結している心理技法である。おまけにフォーカシングはロジャーズのカウンセリングから派生したものであるので、バックボーンにカウンセリングの思想があってそれに支えられている。あえて催眠療法など付け加える必要は全くない。

 ところが催眠療法の方は、現代人の心の治療(心理療法)として用いようとする時、心理療法として成り立たない場合が多いのである。なぜかというと、人の心を治療したり成長させようとする心理技法には、こうあるべきという心のあり方や、成熟した人間としての目標(理想)像が必要である。

 例えばロジャーズの始めたカウンセリングならカウンセラーは「人は全体として自ら成長、健康、適応への衝動を持っているはずである」ということを信じてカウンセリングの場に臨んでいる。また箱庭療法を用いる心理療法家は「母子一体のような、自由で保護された空間でクライアントは自然治癒力を発動させていく」という理念と態度で箱庭療法を用いている。

 催眠療法にはそのような基本理念がない。催眠は「人を、我を忘れて誘導者がリードする暗示やイメージの世界に導いていくテクニック」だけでしかない。それは例えば、とても便利な道具である刃物が扱う人間次第で時に、人を殺める凶器になるのと同じ危険性がある。それで心理療法家として人間性が疑われるような人物でも催眠の技法をマスターすれば、催眠療法士となって催眠療法を行えてしまうのである。他の心理技法を学ぶ場合、そうはなりにくい。なぜなら先に述べたカウンセリングや箱庭療法の場合などは、その技法と基本理念や人間観がくっついているので、技法を学んでいけば援助的人間としても成長していけるからである。

 もう一つ、催眠療法には弱点がある。それは催眠療法を学ぶだけでは、心理療法を行う際の難題である、援助的人間関係のやり方が会得できない点である。催眠療法の始祖といわれる精神科医メスメルが使い始めた「ラポール」という、クライアントが治療者によせる信頼を表す言葉が今でも残っている位で、その他は無いに等しい。

 19世紀後半に、フロイトの先輩精神科医だった、ヨゼフ・ブロイアーが催眠療法を行ったアンナ・Oの症例はあまりにも有名である。けれどもブロイアーの援助的人間関係のスキルは稚拙であった。そのためブロイアーの子供を想像妊娠までしてしまったアンナ・Oをブロイアーは受け止めかねて、治療を中断してしまったのである。

 今現在でも、ブロイアーのようにクライアントを抱えきれなくなって見放ししまい、クライアントが深く傷ついてしまう事例が見受けられる。これはなにも催眠療法だけに限らず他の心理療法でも起こっている。しかし今まで鑑みてきたように援助的人間関係のスキルが確立していない催眠療法では特にその危険性が高いのである。

 催眠療法が始まった過去から現代に至るまで、催眠は自我優先の考え方をバックボーンにしてきた「催眠状態に導いて、人や、その潜在意識をこちらから思い通りに操作していけば良くなっていく」と考えて、それと一体化して催眠を用いてきたのである。けれどもそれは現代人の心性にはそぐわない。

 ・・・大学などの催眠研究では民主的やり方にのっとった方法が工夫はされては来た。しかし自主性を重んじ過ぎて今度は逆に、被催眠者への介入が充分でき得ないきらいがある。また催眠状態は日常によくある心理状態のひとつ(我を忘れた状態)であるのに、それを科学的にと理論を優先したために「変性意識」などという堅苦しい言葉で定義づけてしまった。これでは、それを聞いた誰もが「催眠に入るとよほど特別な変な状態になるのかしら、、」などと、実体験と解離した思い込みを作ってしまいかねない・・・

 心理療法はクライアントの自然治癒力ができる限りいっぱいに働くよう援助することが基本であるが、その具体的な治療目標は二ヶ所となる。一つはその症状や問題自体の解決である。二つ目は、クライアントのそうなりやすい性格や癖となっている部分の変化である。

 心理面接では一時的にだが、時に、全てを治療者に任せてもらって(催眠などで)クライアントを強くリードし、深いリラクゼーションに導くことが治療的にとても役立つ場合がある。クライアントが自分を治療者に委ねることによって自己解放され、自然治癒力の働きが活発になるのである。しかしそれだけでは本格的な心理療法とはならない。二つ目の、性格や癖となっている部分へのアプローチが残されている。ところが催眠療法では、我(自我意識)を忘させるテクニックを用いるために、その性格や癖となっている部分のある自我内へのアプローチが盲点となる。

 これらの催眠療法の欠点を補うのにはフォーカシングが最適である。フォーカシングはとてもオープンマインドで、現在においても先がけ的な思想を持っている。創始者であるユージン・ジェンドリンは心理学者であって哲学者でもある。実践的に優れた心理技法でありながら、かつ、その基本には人の心に関するとてもステキな哲学も持っているのだ。おまけにフォーカシングは先に述べたロジャーズのカウンセリングから派生したものでもあるので「人は全体として自ら成長、健康、適応への衝動を持っているはずである」というカウンセリングの基本理念も含んでいる。

 ・・・実はフォーカシングだけでは、援助的人間関係のスキルの部分がちょっと弱い。催眠プラス、フォーカシングプラス、援助的人間関係のスキル、という三本柱が揃ってようやく催眠療法が本格的な心理療法として成り立つ・・・

 私自身の経験であるが、催眠療法をまず学んで、次にその正反対とも言えるロジャーズのカウンセングを学んだ。すると指示的な催眠療法と非指示的ともいわれるカウンセリングとの狭間で収まりがつかなかったり、混乱することもしばしばであった。もちろんそれは、その両方ともに私の技能が未熟であったからではある。

 でも、催眠とフォーカシングを併用するようになってからはおもしろいくらいに、その狭間を埋めることができるようになった。また先に述べた心理療法の治療目標である「症状や問題自体の解決」と「そうなりやすい性格や癖となっている部分」の両方へのアプローチが催眠療法の中においても可能となったのである。

★参考ホームページ:『日本フォーカシング協会』


新しい催眠療法に向けて

 最近のアメリカ映画では、精神的なものが絡む話題になってくると「カウンセラーの所へ行ったか、とか精神科医の所に行ってこい」などというやりとりがすぐに出てくる。まるで床屋にでも行くのと同じに、いやもっと頻繁にカウンセリングや精神療法を受けることが日常的となっているらしい。

 そこまでではないが日本でも、私が携わり始めた30年前とは比べ物にならないくらいに心理療法が浸透してきた。カウンセリングなどの心理療法所からヒーリングやスピリチュアルなど他の民間療法も含めて、心と身体に関する治療法や健康法の増加はとどまるところを知らない。10年くらい前だったか、グーグルで「カウンセリング」のキーワードで検索したら100万件台だったが、その情報総数が最近ではなんと30倍の3000万件台に跳ね上がっていて驚く。

 カウンセリングスクールや心理療法関連の団体や資格が次々に設立されている。危惧されるのは、広く浸透することは良いことではあるけれど、そのぶん中身が薄まり、お手軽なものになっていくことである。サイコセラピストなどと自分を名付けている人も見受けられる。そんな格好つけたノリでは、悩み苦しんで深刻な状態にあるクライアントに接すると、ひとたまりもなく粉砕される。そして残念なことに、私の専門領域である催眠療法界はこの傾向がより強い。その原因は根が深い。催眠自体の本質を見抜かないままに、上辺のハウツー部分のみを長年継承して来たことにあるのだが。

 現在、催眠療法の世界では催眠療法自体をメインにしたものに加えて前世療法やNLP、インナーチャイルド療法やスピリチュアルなどに催眠療法(ヒプノセラピー)をプラスして看板に上げた心理療法所が数多く見受けられる。それらはそれぞれ、心に関する考え方を持ち、このような考え方で治療していけば心の問題が解決するとアピールしている。

 例えばインナーチャイルド療法なら「今現在も傷ついたままで心の内に残存するインナーチャイルドを癒し育てていくことで良くなっていく」という。また前世療法なら催眠状態を利用して「過去生までさかのぼって原因を探っていくことで治癒に至る」という考え方でクライアントの治療に当たろうとしている。

 けれどもそこで併用される催眠療法自体の方は、実は旧態然としたものなのだ。統一された理論のないままに来た催眠は、現代にあっても怪しげな雰囲気に包まれている。その中には、催眠療法の始祖といわれる「メスメル」の動物磁気説と似たような魔術的な治療技法としてアピールされたものから、霊感商法とみがまうような高額な料金を取る酷い所まである。

 また大学など、アカデミックな場での催眠療法は、近年さまざまな心理療法が台頭、発展するのに押しやられた感じである。一応、催眠学会はあり、まじめに研究もされてはいるようなものの、そこから催眠に関する新たなものは生まれてきていない。信頼にたる発行物も登場しなくなって久しい。

 催眠療法はさまざまな心理療法の先陣を切った心理技法である。フロイトもユングも催眠療法に携わっていた次期があった。二人が自らの心理臨床技法を打ち立てるに至った元に催眠療法の知見が役だっていることは確実であろう。ところが悲しいことに、この心理療法全盛の時代にあって催眠療法は、信頼おける心理療法としての地位は確立しえていない。ヒプノセラピーなどと横文字で、おしゃれな感じで催眠療法をアピールする所も多くなって来た。けれども世間一般にある催眠療法に関する印象で一番多いのは「怪しげだけどもしかしたら効くこともあるかもしれない」なのである。

 このように充分認められているとはいいがたい理由は、先に述べたように、催眠自体の本質を見抜かないままに、上辺のハウツー部分のみを長年継承して来たことにある。

 催眠療法界には車椅子に乗った素晴らしい心理療法家、ミルトン・エリクソン( 1901年-1980年)がいる。けれども彼のその治療技法は天才的な彼でしか用いることができないようなものである。その名人芸の催眠療法は段階を踏んで学んでいけるような体系づけができるものではないのだ。エリクソン自身もクライエントごとに異なるアプローチをすべきという考えから、技法の体系化は好まなかったといわれている。

 思うに、エリクソンに学ぶべきは、その名人芸ではなく、そのような技を繰り出すことのできる、その元にある普遍的な部分であろう。表面的なハウツーに終止するのでなく、河合隼雄先生が著書「臨床とことば」の中で『臨床の知と普遍性の問題』として述べているように、普遍性を見抜いて、そこを基に他に適用していくのでなければほんとうに役立つものには成り得ない。

 普遍的な本質とは、例えば刃物でいえば「ものが切れる」ということである。刃物はものが切れるというひとつの機能を基本に持つ道具で、その用途はさまざまにある。そして時には人を殺める凶器にもなりえる。催眠も刃物と同様にひとつの道具である。ただ催眠の場合はその道具の基本機能が明確になっていない。そのため、刃物を使う場合に、もしその「切れる」という働きをよくわかってなくて使えば、怪我をしかねないのと同じことが、催眠を用いて行う心理療法(催眠療法)で起こってしまっている。(なぜ催眠が道具なのかという理由は「催眠の新しい理論」の章を作って詳しく述べる予定)

 例えば、料理を作りあげていくには、その時用いる道具の機能や材料の特質をよく知っていて、それらを上手に用いて料理を完成させねばならない。もちろんそこで包丁は大いに活躍するが、食物を切っただけでは料理は完成しない。その他に煮たり焼いたりいろいろやることがあるので包丁以外の道具も必要である。

 心理的なものから来る症状や問題を解決しようとする心理療法は料理とよく似ている。催眠療法ももちろん心理療法であるが、料理をする際の道具の一つである包丁と同じく、催眠という道具のみではちゃんとした料理(心理療法)は完成しえない。

 催眠療法と命名されているのでわかりにくいが、心理療法(催眠療法)を完成させるためには料理をする場合と同じように、他の心理技法も必要なのである。ところが切っただけで美味しく食せる刺身と同じに時に、催眠にかかっただけで症状が良くなる人が居る。そこで勘違いして催眠(包丁)だけで心理療法(料理)が全てまかなえると思い込んでしまっている稚拙な催眠療法家も出てくるのである。

 料理をする際の道具の扱い方もよく知らない、おまけに料理を完成させるためのノウハウも詳しくない、というのでは惨憺たる料理しかできあがらない。いろいろな心理臨床技法の中にあって特に催眠療法で、この例えと同等の治療が数多く行われている。(・・・実は、ここに批判してあるところは大なり小なり私自身がたどってきた道でもある。過去の私の拙い心理面接を思い起こすとクライアントにずいぶん迷惑かけたし、恥じ入るばかりで偉そうなこと言えなくなるのだが・・・)

 催眠療法に期待を寄せるクライアントに、ほんとうに役立てることができるようになるためには催眠療法に携わる者がもっともっと心理療法家としても力量をつけていかねばならない。催眠の普遍的な本質を見抜いてそれを基に、心理療法として確実に役立つよう、新たに体系づける必要がある。

 このサイトでは新たに、催眠にはどのような本質的な機能があるかを明確にして「催眠の理論」として定義していく。またそれを元にした催眠を、心の問題の解決のために心理療法として用いる際に(料理を仕上げていくのと 同様に)催眠以外にどのような心理技法を加味すれば、より良い心理療法を成し遂げることができるかも述べていく。さらにもうひとつ、新しい催眠療法の実践の中で見出した治療技法も紹介していく予定である。

 これらの私が提案する新しい催眠理論とそれを根本にした催眠療法は、わかりやすく具体的で段階を踏んで努力して学んでいけば誰もが会得できるものである。

★参ページ:『催眠再考察』 『催眠の正しい理論』