なぜ催眠は不思議に見えるのか

 深い催眠状態にある人の言動はとても不思議に見える。時にはインチキや、やらせではないかと疑えるくらいに怪しげに見えたりもする。催眠研究論文では、そんな催眠状態を「変性意識」と名付けて特別視している。変性意識などというと、いかにも日常的にはあり得ない特別な心理状態のように思えてくる。しかしこれは間違いである。実は催眠トランス状態でおこる現象は、それはすべて日常で頻繁に起こっていることでもあるのだ。そんな日常で普通にある心理現象の凝縮されたものが催眠心理現象なのである。ただ私たちがそれと気づいていないだけである。

 催眠とはどのようなものかというと「我を忘れて催眠誘導者の暗示言葉に強く集中した状態」といえる。だから我を忘れた状態にあればそれは日常、非日常に関係なく、すべて催眠状態と同等の心理状態といえるのである。ではなぜ催眠状態での現象は、日常ではありえないように見えてしまうのか。それを説明してみよう。

 それはまず、催眠状態では催眠に入って我を忘れた状態にある者が、ひとえに催眠誘導者の暗示言葉へ集中し、それに限定されて行動するのみになるところが、日常でのそれとは違うからである。日常で催眠状態と同じように我を忘れて行動している時は多々ある。例えば、我を忘れて勉強に夢中になる時などである。でも勉強が終わって一息入れた後はテレビゲームに夢中になる。などというように、その集中対象が区切りを持っている。そしてそのつど、出たり入ったりしながら変化していく。それが日常では普通になっているので、催眠状態のずっと続く忘我状態がとても不自然な感じがするのである。さらに、より深い催眠状態になると忘我状態が亢進して、催眠誘導者に集中する態度が、何かに取り憑かれたような雰囲気が次第に出てくる。さまざまある催眠現象の中でこの雰囲気が一番不思議な感じがする。

 さすがにこのレベルまでの忘我は数多くはないけれども日常でも、エモーショナルな行動について「何かに取り付かれたように行動していた」などと表現する場合は同様の心理状態である。また実際、憑依現象的な狐憑きや夜鷹症もある。多重人格的に強く乖離するタイプの人の中には、ちょっとしたことで取り付かれたような忘我状態に陥りやすい人もいる。これらはようするに極度の忘我・感情移入状態なのである。それはもちろん日常でも催眠状態でも同様に起こりうるものである。

自我意識の勘違いと他動感

 催眠状態に入った当人自身が不思議に感じるのが「他動感」である。催眠状態での行動の特徴として、催眠に入っている当人が自分で自分の身体を動かしている感じがしないのに動いてしまう。これが他動感である。ハッキリした他動感があると、とても不思議な感じがする。でもそれは私たちは自分の行動を通常、自分でコントロールしていると勘違いしているので不思議に感じるだけなのである。了解しがたいかもしれないが、日常での行動その他は、ほとんど他動しているのが事実である。

 生命体は意識的にスイッチを入れなくとも生きている間はすでに機能している。車の運転に例えればそれは自分でハンドルブレーキを操作しなくても適切に動く自動運転の車に乗っているのと同じである。心臓はかってに動いているし、呼吸も身体がかってにしている。音や味なども、あえて聞こうとか味わおうとする以前にすでにあったりする。さすがに行動は、自動運転ではない車の運転でハンドルをきったりブレーキかけたりすると同じに、意識的にコントロールしていると思うかもしれない。でもふとトイレに行こうと思い立ったら、後は足がかってに動いてトイレに行くのである。右足出したら次は左足出して、、などと意識でいちいちコントロールして歩いてはいない。そんな行動は癖として無意識的にやっていることともいえる。

 しかしそれ以上に人間のやることのほとんどが自動車運転で行われているのである。歩行中に、急に人とぶつかりそうになったら、右か左かどっちに避けたら良いかなどと考える前に身体がかってに避ける。脳科学者のベンジャミン・リベットはその実験から、人は身体が行動した0.3秒後にそれを今意識して行動したと後追いで思うと言い切っている。意識は常に後追いしているのに、でもタイムラグがあったとは思えないのだ。勘違いしているのである。

 ゴルフには「イップス」という身体が硬直してスムースにゴルフができなくなる極度の緊張症状がある。ごく簡単な短いパットが身体の硬直によって入らなくなる。何も考えずに平常心で、今まで練習で鍛えてきたのだから、身体を信じて動くに任せていればスムースに入るのが普通である。ところが大会に臨んでは、つい頭の方で「これが入れば優勝だな。ちゃんと入れなければならない。大丈夫か」などと思ってしまう。すると、身体が無意識的にかってにやるペースと、意識的に、うまくやろうとするペースがぶつかってしまうのである。ことわざにある「船頭多くして船山に登る・・・一そうの船に、指図する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んだり、うまく運ばないことをいう」状態になるのである。これは意識が自分で自分をコントロールしていると勘違いしていることから来る葛藤である。これによって身体が身動き取れなくなった状態があがり症、緊張症・イップスなのである。

 意識には、自分が自分(心や行動)をコントロールしているとの強い思い込み、勘違いがある。そこで、催眠によって、本当は常々身体が勝手にやっている(無意識的な)行動を、あらためてデフォルメして見せると、それは他動感として感じられる。それでほとんどの人がびっくりしたり不思議に感じるのである。本格的な催眠誘導は、この思いこみを逆に利用して行われる。通常は身体がかってに無意識的にやっている動きである。でもそれを自分のコントロールを離れた動きとして、あらためて他動感として感じてもらう。そして身体が勝手にそうなることを強調し、より深い自我放棄状態に導くのである。それによって自分でコントロールしようとする自我の意識を手放してもらうようにリードするのである。

★参考ページ:『心と身体と催眠(意識の勘違い)』『催眠の正しい理論


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