催眠状態に導くための実際的な誘導技術を紙面上で説明することは不可能である。やはり技能は動画や実地に学ぶしかない。けれども、催眠技能の習得については、学ぶ前に予備知識を持っていないと、低レベルの誘導技法の習得だけに終わってしまう危険性がある。また、自分ではかなりのレベルの催眠誘導ができるようになったと思っていても、それが全く応用の利かないレベルのものであったりすることもある。
催眠には未だにちゃんとした統一理論がない。そのせいで基準となるものがないままに、さまざまな人がさまざまに催眠を用いたり語ったりしているのが現状である。その中には催眠の本質をわきまえないままに表面的な技法のみでやっている催眠士もいる。催眠誘導技術を教える所はいろいろあるが、先に述べたように低レベルの催眠誘導技法しか持っていなくても、催眠誘導を公開する場合は、催眠状態に導かれやすい反応の良い人をモデルとして選んで見せれば、それなりに様になってしまうのである。それでよけいに、催眠技能の本当の実力があるかどうかがすぐにはわかりにくいのである。催眠を教えてもらう所もよくよく注意して見抜く必要がある。
催眠界の現状はそのような有様なので、ここでは、自分が催眠誘導技法を学ぶに当たってできるだけ最短時間で、より高度な催眠技法まで会得できるようになるための注意点を述べることにした。このコラムを読むことで催眠技法に興味を持った人が、最終的には、自分の持ち味を生かしながらもより高度な催眠技法を身につけて、自分自身はもちろん、被催眠者のサポートがより良くできるようになることを願っている。
催眠技術を用いるのは主に(心の治療法の一つである)催眠療法を行うときである。よって催眠を学ぶにあたって先生を選ぶには、催眠技法だけでなく心理療法の素養もあるのかどうか、その両方の力量を見抜く必要がある。時に、催眠誘導技法に長けているだけで心理療法の力量がそれほどない人でも催眠療法をの看板を上げている場合がある。そこでまずはネットで、なるべく多くの催眠に関するサイトを調べ、催眠技法と心理療法の両方に精通しているかどうかに気をつけながら読み比べてみるとよい。次第に目が肥えて、通り一遍のことしか述べてない所と、催眠心理に良く精通していて深みのある所は見分けられるようになるはずである。
催眠にまつわるさまざまなものをしっかり見抜いていけるようになるためには、その基準・目安となるものが必要である。それは催眠の本質部にある。催眠は日常にある心理現象の凝縮されたものである。であるからして、その本質部は意識・無意識を含めた人間心理の本質部でもある。また催眠とは自我意識の思い込みや勘違いを利用して成り立つものなので、その点を良く理解できると、今まで知らぬ間にかけていた色眼鏡が剥がれる。そして催眠に限らず他のことでも表面的なものに惑わされないで物事を見抜く目ができるようになるのである。催眠を知ることは人間の心を知ることなのである。
催眠理論と他者催眠誘導技法
さてここで私が以前とりまとめた催眠理論を述べてみよう。催眠にかかる側からいうと「催眠とは、我を忘れて催眠誘導者の暗示に感情移入・集中した状態」といえる。逆の催眠をかける側からいうと「被催眠者の想像や他動感を強調拡大することによって、自我意識の働きを弱め、我を催眠誘導者に委ねさせるように導いていくテクニック」といえる。ちょっと堅苦しい言い回しになったが、ひらたく言えばその気にさせるテクニックである。ここでの本質部分は「催眠誘導する側に我を委ねてもらう」という点である。そこから言えば、我を忘れ、我を委ねてもらうためのさまざまなテクニックが催眠誘導技法なのである。この辺りをよく理解しておくと、催眠に関するものを見たり読んだり学んだりする時に、表面的な現象に振り回されないでやっていくことができる。
催眠療法的なものはまた別にして、さまざまある他者催眠誘導技法は、これから述べる二つのどちらかに分別できる。一つは催眠理論の中で述べた「被催眠者の他動感の強調」である。これは主に催眠誘導の初期に用いる技法である。それは催眠にかかる当人の錯覚と勘違いを利用して自我放棄を導くテクニックである。他動感とは自分でやっている気がしなくて何かにたぐられているような感覚である。それが高じると自分で自分をコントロールできている感じがなくなってしまう。次第に催眠誘導者に自分を委ねた状態が高じてくるのである。
急には信じがたいかもしれないがこれは「意識が自分で自分をコントロールしているもの」との間違った思い込み、勘違いがあって成り立っている催眠技法なのである。私たちは通常の行動のほとんどが無意識的に身体が勝手にやっているのが真実なのである。考えてみれば心臓はかってに動いているし、呼吸は意識して呼吸することもできるが、普通はかってにやっている。耳には聞こうとする前に音声が聞こえている。行動にしても同じである。小さな虫が顔めがけて飛んできたなら身体がかってにぱっと避ける。それらは、元々身体に備わっている生命体の機能としての働きである。
催眠誘導ではそんな元々ある機能としての無意識的な身体の動きを、あえて取り上げて強調してみせることで、他動感を強く感じてもらうようにする。被催眠者が「あっ、私の手がかってに動いてる。不思議!?」とか思ってくれれば成功なのである。後はその感覚をより大きく感じてもらうようにしていけば自我放棄もより進む。自我放棄は自己解放でもある。自我の構えがなくなる分とても楽になる。また催眠状態の中で、夢でも見るように楽しいイメージの世界で遊んだりリラクゼーションを体験すればストレス解消にもなるし、催眠から覚醒した後もさっぱりして心地良かったりするのである。
もう一つの誘導技法は、これも先の催眠理論の中で述べた「被催眠者の想像力」を催眠誘導者のリードで膨らましていく方法である。この被催眠者イメージリード(作り)が上手な人ほど催眠誘導に長けた人といえる。もちろんその実際では、催眠にかかってもらう人のペースに即して少し先を行きながらイメージをリードするくらいが適切である。いくら暗示言葉が見事でも、催眠にかかる当人がそれについて行けないようだと白けてしまって催眠誘導はうまくいかない。また、催眠にかかる当人はより深いイメージの世界に入り込む体勢になっている時には、かなり極端なイメージ作りでもどんどんついてこれるし、それによってより深い催眠状態に入っていけるのである。
この被催眠者のイメージ活動を刺激し活性化させることが催眠技法の主たる役目である。それによって被催眠者のリアルイメージがよく働くようになれば、催眠療法やイメージトレーニングや能力開発・自己啓発のための下準備が整ったといえるのである。
催眠誘導技術と催眠療法
催眠の一番の弱点は、理想の催眠状態に誘導できなかった、入れなかった場合である。被催眠者に催眠に入っていたというような納得感がなければいくら良い催眠誘導をしたとしてもほとんど無駄に終わる。そんな場合には催眠誘導する側に失敗感がつのる。しかしこの催眠に入れないことに対して、それを曖昧にしたり、誤魔化したりしてしのいでいる間は催眠誘導者としてまだ一人前とはいえない。被暗示性テストというのがあって催眠に入りやすい人とそうでない人の統計をとったりした研究もある。確かに元々集中力が異常に高い人や自我意識が虚弱な人などで、特別深い催眠状態に入るような人もいる。けれども被暗示性はとても流動的なものである。催眠状態へ入るかどうかは基本、時と場合でずいぶん違ってくるものである。その証拠には、定期的な催眠セミナーを続けていると最初は催眠に入りにくかった人までも、次第に深い催眠状態に入れるようになってくるのである。
催眠状態に入れないということは、催眠誘導者に我を任せられないか、元々被催眠者当人が我を忘れにくいタイプであるかである。言い換えると、その気になっていないか、元々その気になりにくいタイプであるかである。人間だれしも、その気になれば意を決して物事に飛び込んでいけるものである。だから、どうしてその気になれないのかを探っていって、そこがどうなっているかを解明して適切な対処をすれば良いのである。
この、その気になれなくて催眠に入れなかったという原因を解明することは、これ自体で心の問題で悩む人の根本的な問題を解決する糸口となるものである。その気になれないということは、自分を解放できないということでもある。それは自我意識のあり方の問題である。そんな人の中には例えば「何ごとも理性で常にコントロールしなければならない」などの思いが強くて、せっかく身体は反応しようとしているのに、その動きと意識的な努力がぶつかって身動き取れなくなっている人もいる。努力逆転の法則などという言葉もある。眠れないときに、眠らねば眠らねばと思って余計に眠れなくなるのと同じである。これはスポーツや芸事などのさいに、緊張して実力が発揮できなくなるときの根本原因ともなる。被催眠者が催眠に入れなかったときに、この辺りの心の動きを一緒に振り返って解明しながら、自分の心と身体を信じてそれに任せられるようなあり方を体得してもらえば、緊張症も治るし、もちろん催眠状態にも深く入れるようになるのである。
自我放棄して身体の反応のままに任せるという催眠状態のあり方は、頭優先の現代人の問題の治療過程と重なるわけである。だから催眠状態を体験するだけでも自己解放のコツがわかるし、理性でもってすべてコントロールしなくとも身体が上手にやってくれているのもわかる。それによってのびのびと物事に気楽に取り組めるようになったりする。また身体を信じられる分、意識で常に頑張らなくても良くなるのでとても楽な生き方もできるようになるのである。催眠が役立つ中でもこれが一番の長所である。
主に催眠誘導技法を学ぶについてどのような観点を持てば良いかを述べてきた。このページの最初の方にも述べたことだが、催眠技法を使って催眠療法を行おうとする人は多い。けれども催眠技法を会得しただけでは心理療法は完成できない。料理で例えると、催眠は調理には欠かせない道具である包丁のようなものである。包丁で食品を切る以外のことを知っていなければ料理は完成できない。催眠療法は心理療法の一つであって、その中で用いる催眠技法はあくまでも、料理をするときに使う包丁と同じ道具なのである。催眠を心理療法に用いるには、必ず心を扱う心理療法がどのようなものかに知っていなくてはならない。特に、援助的人間関係について精通していないことには、心の悩みや問題を持った人を催眠療法で援助する時(援助的人間関係)に立ち起こってくる、さまざまな問題に対処しきれなくなるのである。