なぜ催眠は不思議に見えるのか 催眠状態の不思議さ

催眠状態の不思議さ

 深い催眠状態にある人の言動はとても不思議に見える。時にはインチキや、やらせではないかと疑えるくらいに怪しげに見えたりもする。催眠研究論文では、そんな催眠状態を「変性意識」と名付けて特別視している。変性意識などというと、いかにも日常的にはあり得ない特別な心理状態のように思えてくる。しかしこれは間違いである。実は催眠トランス状態でおこる現象は、それはすべて日常で頻繁に起こっていることでもあるのだ。そんな日常で普通にある心理現象の凝縮されたものが催眠心理現象なのである。ただ私たちがそれと気づいていないだけである。

 深い催眠状態になればなるほど自我意識の働きが弱くなるので、睡眠中の夢を見ている状態と同じになる。催眠時に閉じたまぶたを観察してみると、夢を見ているときと同じように眼球運動が活発なのがわかる。中には白眼をむくまで眼球が反転していたり、まぶたが小刻みに震え続けている人もいる。催眠誘導者の暗示によって発生した内的なイメージ活動が非常に活発になっているのだ。その雰囲気はあっちの世界にでも行っているようで、とても不思議に見える。

 そんな催眠をどのようなものかと定義すると「忘我状態になって催眠誘導者の暗示言葉のみに集中した状態」といえる。だから我を忘れた状態にあればそれは日常、非日常に関係なくすべて催眠状態と同等の心理状態といえるのである。ではなぜ催眠状態での現象は、日常ではありえないように見えてしまうのか。それを説明してみよう。

 それはまず、催眠状態では催眠に入った我を忘れた状態にある者が、ひとえに催眠誘導者の暗示言葉へ集中し、それに限定されて行動するのみになるところが、日常でのそれとは違うからである。日常で催眠状態と同じように我を忘れて行動している時は多々ある。例えば、我を忘れて勉強に夢中になる時などである。でも勉強が終わって一息入れた後はテレビゲームに夢中になる。などというように、その集中対象が区切りを持っている。そしてそのつど、出たり入ったりしながら変化していく。それが日常では普通になっているので、催眠状態のずっと続く忘我状態がとても不自然な感じがするのである。さらに、より深い催眠状態になると忘我状態が亢進して、催眠誘導者に集中する態度が、取り憑かれたような雰囲気のレベルに入る。さまざまある催眠現象の中でこの状態が一番不思議に見える。

 すべての人がそうなるわけではないが、さらにそれが強くなると何かに憑依されたような感じにもなる。さすがにこのレベルまでの忘我集中状態は日常では数多くはない。けれども日常でも、エモーショナルな行動について「何かに取り付かれたように行動していた」などと表現する場合は同様の心理状態である。また実際、憑依現象的な狐憑きや夜鷹症もある。多重人格的に強く乖離するタイプの人の中には、ちょっとしたことで取り付かれたような忘我状態に陥りやすい人もいる。これらはようするに極度の忘我・感情移入状態なのである。それはもちろん日常でも催眠状態でも同様に起こりうるのである。

自我意識の勘違い

 催眠状態にある当人自身が不思議に感じるのが「他動感」である。催眠状態での行動の特徴として、催眠に入っている当人が自分で自分の身体を動かしている感じがしないのに動いてしまう。魔法のように催眠誘導者の暗示に動かされている感じがする。これが他動感である。ハッキリした他動感があると、とても不思議な感じがする。でもそれは私たちは自分の行動を通常、自分でコントロールしていると勘違いしているので不思議に感じるだけなのである。ちょっと了解しがたいかもしれないが、日常での行動その他は、ほとんど他動しているのが事実である。

 生命体は意識的にスイッチを入れなくとも生きている間はすでに機能している。車の運転に例えればそれは自分でハンドルブレーキを操作しなくても適切に動く自動運転の車に乗っているのと同じである。心臓はかってに動いているし、呼吸も身体がかってにしている。音や味なども、あえて聞こうとか味わおうとする以前にすでにあったりする。さすがに行動は自動運転ではない車の運転でハンドルをきったりブレーキかけたりすると同じに、意識的にコントロールしていると思うかもしれない。でもふとトイレに行こうと思い立ったら、足がかってに動いてトイレに行くのである。右足出したら次は左足出して、、などと意識でいちいちコントロールして歩いてはいない。そんな行動は癖として無意識的にやっていることともいえる。しかしそれ以上に人間のやることのほとんどが自動車運転で行われているのである。

 歩行中に、急に人とぶつかりそうになったら、右か左かどっちに避けたら良いかなどと考える前に身体がかってに避ける。脳科学者のベンジャミン・リベットはその実験から、人は身体が行動した0.3秒後にそれを今意識して行動したと後追いで思うと言い切っている。意識は常に後追いしているのに、でもタイムラグがあったとは思えないのだ。

 ゴルフには「イップス」という身体が硬直してスムースにゴルフができなくなる極度の緊張症状がある。ごく簡単な短いパットが身体の硬直によって入らなくなるのである。何も考えずに平常心で今まで練習で鍛えてきた身体を信じて動くに任せていればスムースに入るのが普通である。ところが大きな大会に臨んでは、つい頭の方で「これはちゃんと入れなければならない。大丈夫か」などと思ってしまう。すると身体が無意識的にかってにやるペースと、意識的に、うまくやろうとするペースがぶつかってしまうのである。

 ことわざにある「船頭多くして船山に登る・・・一そうの船に、指図する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んだり、うまく運ばないことをいう」状態になるのである。これは意識が自分で自分をコントロールしていると勘違いしていることから来る葛藤状態である。これによって身体が身動き取れなくなった状態があがり症、緊張症(イップス)なのである。

 意識には、自分が自分(行動)をコントロールしているとの強い思い込み、勘違いがある。なので、催眠によって本当は常々身体が勝手にやっている(無意識的な)行動を、あらためてデフォルメして見せると、それは他動感として感じられる。それでほとんどの人がびっくりしたり不思議に感じるのである。本格的な催眠誘導は、この思いこみを逆に利用して行われる。通常は身体がかってに無意識的にやっている動きである。でもそれを自分のコントロールを離れた動きとして、あらためて他動感として感じてもらう。そして身体が勝手にそうなることを強調し、より深い自我放棄状態に導くのである。それによって自分でコントロールしようとする(我)を手放してもらうようにリードするのである。

暗示の不思議

 催眠の中で純粋に催眠固有の特徴といえるのが催眠誘導者が暗示言葉でという特殊な言葉づかいで被催眠者をリードしていくことである。これも催眠を第三者が見るとき、とても不思議に見える。

 催眠誘導者と被催眠者との関係はとても特殊である。そこにあるのは催眠誘導者の暗示言葉を用いた一方的な催眠誘導者への働きかけと、それに対する被催眠者の反応と行動である。日常的な関係では、相手につき合ってもらうには、ただ付き合ってもらうように頼んだり、命令して従わせるだけでない。何に付き合ってもらうかを表明して、相手に興味をもってもらったり、納得してもらうように説明する。催眠誘導者の用いる暗示言葉はそのような、物事を説明・表現するというような言葉の使い方ではない。もっと直接に被催眠者の内界のイメージ活動が活発化することを狙って暗示言葉を発するのである。目の前の被催眠がイメージ膨らましやすいように暗示言葉を駆使できる人が催眠誘導に長けた人である。

 催眠におけるその関係は命令する者とされる者の関係に非常に似ている。けれども催眠誘導暗示は命令や押しつけとは違う。暗示とは被催眠者をその気にさせるためのものなのである。普通他人にこちらの考えているように行動してもらいたいときは「動かして下さい」とか「動きましょう」「動かしなさい」などの言い方でする。催しかし眠誘導では「動く動く」とか「動いてくる動いてくる」などと言う。これが暗示言葉である。暗示言葉は、当人の意識的な部分には働きかけていない。既存の催眠説明でいうと無意識に働きかけるということになるのだが、もっと正確に言うと、被催眠者の内面のイメージ活動の部分に働きかけているのである。

 日常には、人をその気にさせるようとするものは、言葉以外にもたくさんある。けれども、催眠の暗示言葉と同様のものはあまりない。古い話だが母親が小さい子供におしっこをしつけるときに「シーッ、トントントン」等と言っているのは暗示言葉と同じである。スポーツ関連のコーチは、選手をその気にさせる立場でもあるので、選手を励ましたり、やる気を出させるために暗示言葉的な話しかけはよく用いるはずである。

 上記のことから日常には暗示言葉と同じような使い方が極端に少ないことがわかる。そこでいえるのは、この章の最初にも述べたように、暗示言葉を用いるというこの一点のみが催眠の特徴なのである。催眠で起こるそれ以外のことは、いくら不思議な現象であっても、それらはすべて日常において、それと同じ現象が生起しているのである。逆説的にいえるのだが、催眠が不思議なのではない。人の心が不思議なのである。


時代性にマッチした催眠と催眠療法の工夫と研究