フォーカシング式催眠療法

 ここで述べる中で、既存の催眠療法への反省の部分は「新しい催眠療法に向けて」のところで述べた、催眠療法への反省の辺りと少し重複がある。とても大事なところであるので、ここでは違った視点からより突っ込んで述べてみる。

 「フォーカシング式催眠療法」とは私が勝手にフォーカシングと催眠療法をくっつけて名付けたものである。なにもわざわざフォーカシングと催眠療法をくっつけなくても良いのではと思われるかもしれない。確かにフォーカシングの方はそれ自体で完結している心理技法である。おまけにフォーカシングはロジャーズのカウンセリングから派生したものであるので、バックボーンにカウンセリングの思想があってそれに支えられている。あえて催眠療法など付け加える必要は全くない。

 ところが催眠療法の方は、現代人の心の治療(心理療法)として用いようとする時、心理療法として成り立たない場合が多いのである。なぜかというと、人の心を治療したり成長させようとする心理技法には、こうあるべきという心のあり方や、成熟した人間としての目標(理想)像が必要である。例えばロジャーズの始めたカウンセリングならカウンセラーは「人は全体として自ら成長、健康、適応への衝動を持っているはずである」ということを信じてカウンセリングの場に臨んでいる。また箱庭療法を用いる心理療法家は「母子一体のような、自由で保護された空間でクライアントは自然治癒力を発動させていく」という理念と態度で箱庭療法を用いている。

 催眠療法にはそのような基本理念がない。催眠は「人を、我を忘れて誘導者がリードする暗示やイメージの世界に導いていくテクニック」だけでしかない。それは例えば、とても便利な道具である刃物が扱う人間次第で時に、人を殺める凶器になるのと同じ危険性がある。それで心理療法家として人間性が疑われるような人物でも催眠の技法をマスターすれば、催眠療法士となって催眠療法を行えてしまうのである。他の心理技法を学ぶ場合、そうはなりにくい。なぜなら先に述べたカウンセリングや箱庭療法の場合などは、その技法と基本理念や人間観がくっついているので、技法を学んでいけば援助的人間としても成長していけるからである。

 もう一つ、催眠療法には弱点がある。それは催眠療法を学ぶだけでは、心理療法を行う際の難題である、援助的人間関係のやり方が会得できない点である。催眠療法の始祖といわれる精神科医メスメルが使い始めた「ラポール」という、クライアントが治療者によせる信頼を表す言葉が今でも残っている位で、その他は無いに等しい。19世紀後半に、フロイトの先輩精神科医だった、ヨゼフ・ブロイアーが催眠療法を行ったアンナ・Oの症例はあまりにも有名である。けれどもブロイアーの援助的人間関係のスキルは稚拙であった。そのためブロイアーの子供を想像妊娠までしてしまったアンナ・Oをブロイアーは受け止めかねて、治療を中断してしまったのである。

 今現在でも、ブロイアーのようにクライアントを抱えきれなくなって見放ししまい、クライアントが深く傷ついてしまう事例が見受けられる。これはなにも催眠療法だけに限らず他の心理療法でも起こっている。しかし今まで鑑みてきたように援助的人間関係のスキルが確立していない催眠療法では特にその危険性が高いのである。

 催眠療法が始まった過去から現代に至るまで、催眠は自我優先の考え方をバックボーンにしてきた「催眠状態に導いて、人や、その潜在意識をこちらから思い通りに操作していけば良くなっていく」と考えて、それと一体化して催眠を用いてきたのである。けれどもそれは現代人の心性にはそぐわない。(・・・大学などの催眠研究では民主的やり方にのっとった方法が工夫はされては来た。しかし自主性を重んじ過ぎて今度は逆に、被催眠者への介入が充分でき得ないきらいがある。

 また催眠状態は日常によくある心理状態のひとつ(我を忘れた状態)であるのに、それを科学的にと理論を優先したために「変性意識」などという堅苦しい言葉で定義づけてしまった。これでは、それを聞いた誰もが「催眠に入るとよほど特別な変な状態になるのかしら、、」などと、実体験と解離した思い込みを作ってしまいかねない・・・)

 心理療法はクライアントの自然治癒力ができる限りいっぱいに働くよう援助することが基本であるが、その具体的な治療目標は二ヶ所となる。一つはその症状や問題自体の解決である。二つ目は、クライアントのそうなりやすい性格や癖となっている部分の変化である。

 心理面接では一時的にだが、時に、全てを治療者に任せてもらって(催眠などで)クライアントを強くリードし、深いリラクゼーションに導くことが治療的にとても役立つ場合がある。クライアントが自分を治療者に委ねることによって自己解放され、自然治癒力の働きが活発になるのである。しかしそれだけでは本格的な心理療法とはならない。二つ目の、性格や癖となっている部分へのアプローチが残されている。ところが催眠療法では、我(自我意識)を忘させるテクニックを用いるために、その性格や癖となっている部分のある自我内へのアプローチが盲点となる。

 これらの催眠療法の欠点を補うのにはフォーカシングが最適である。フォーカシングはとてもオープンマインドで、現在においても先がけ的な思想を持っている。創始者であるユージン・ジェンドリンは心理学者であって哲学者でもある。実践的に優れた心理技法でありながら、かつ、その基本には人の心に関するとてもステキな哲学も持っているのだ。

 おまけにフォーカシングは先に述べたロジャーズのカウンセリングから派生したものでもあるので「人は全体として自ら成長、健康、適応への衝動を持っているはずである」というカウンセリングの基本理念も含んでいる。(・・・実はフォーカシングだけでは、援助的人間関係のスキルの部分がちょっと弱い。催眠プラス、フォーカシングプラス、援助的人間関係のスキル、という三本柱が揃ってようやく催眠療法が本格的な心理療法として成り立つ・・・)

 私自身の経験であるが、催眠療法をまず学んで、次にその正反対とも言えるロジャーズのカウンセングを学んだ。すると指示的な催眠療法と非指示的ともいわれるカウンセリングとの狭間で収まりがつかなかったり、混乱することもしばしばであった。もちろんそれは、その両方ともに私の技能が未熟であったからではある。

 でも、催眠とフォーカシングを併用するようになってからはおもしろいくらいに、その狭間を埋めることができるようになった。また先に述べた心理療法の治療目標である「症状や問題自体の解決」と「そうなりやすい性格や癖となっている部分」の両方へのアプローチが催眠療法の中においても可能となったのである。

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